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執筆者紹介:勝野菜生(かつの なお)

 集団音楽教室の教室長、ピアノ・作曲の個人実技レッスン講師、教材開発、そして特別授業 芸術鑑賞会の企画運営など、幅広い範囲を担当。「なお先生」や「かっちゃん」の名で親しまれています。学生時代よりサポート講師として活躍し、長年子どもたちと触れ合い続けてきました。子どもたちの変化やちょっとした様子を見逃さない観察眼を持ち、初めて会う子どもたちとも、あっという間に信頼関係を築いてしまいます。作曲家としての生来のクリエイティブさが至るところに発揮され、ちょっとしたデザインをおしゃれに仕上げるなど、隠れたスキルで人を驚かせることも。さまざまな顔を持つ先生です!

(紹介文:リレーコラム6月号執筆者 町田光優)


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「へぇ!」

 小学生のころ私が使っていた教本には、音楽に関する豆知識が書かれたコラムが掲載されていました。1番よく覚えているのは、ボサノヴァ(ブラジルのポピュラー音楽)の誕生についてのコラムで、ボサノヴァや、その生みの親の一人であるジョアン・ジルベルトの話が載っていました。ボサノヴァ特有の囁くような歌い方は、彼がお風呂場でギターを弾いているときに発明したものだという内容でした。

「へぇ!そうなのー!お風呂場で!?」

と驚いたことを覚えています。


 練習している曲の背景を調べることにはまった時期もあったのですが、今考えると、前述の教本のコラムがきっかけだったのかもしれません。


 J.S.バッハの『イタリア協奏曲』に取り組み始めたときには「なぜ“イタリア”なのだろう」と不思議に思って、曲の背景を調べました。すると、“どんよりとした気候のドイツに住んでいたバッハが、暖かくて、当時芸術の最先端をいく国であったイタリアに憧れを抱いていたことが影響している”ということがわかりました。

「へぇ!そうなのー!こんなメカニックな曲を作る、いかつい顔のバッハが、『あの国はいいなあ』という憧れから曲を書くの!?」

と親近感を抱きましたし、この話も印象に残り続けています。


 「へぇ!」と思えることで、なんだか世界が広がる感じがしませんか。私には、視野が広がり、世界の見方が変化するように思えてなりません。だからこそ、子どもたちにも「へぇ!」の魔法をかけたくなります。


 かつて私がピアノを教えていたAくんは、譜読みがよくできて、演奏技術もありました。ただ、どこか音楽と親密になり切れていない様子がありました。

「これは『へぇ!』の出番だ!」

と思い、新しい曲に取り組むたび、その曲についての話をすることにしました。


「この曲は、モーツァルトが6歳のときに作ったんだよ」

「へぇ!普通6歳でこんな曲作れないよ!」


「この曲の最初のメロディは、馬のパッサージュという歩きのリズムを真似したんだって」

「へぇ!だから八分音符が使われているのかな?」


 昨年度の特別授業”アノネミュージックフェスティバル”*で『パガニーニの主題による変奏曲』(S.ラフマニノフ作曲)に取り組んだときには、原曲(ピアノとオーケストラが一緒に演奏しています)の動画を一緒に視聴しました。

「元のメロディがあって、それをどんどん変奏していくんだよ。今は2番目。Aが弾いたのは18番目なんだよ」

と伝えると

「へぇ!そんなにあるの!」

と驚いていました。その後も

「速いなあ(ピアノの演奏を見て)」

「これ、間違えられないよね…。間違えたらあとで怒られそう」

「変奏はどれくらいあるんだろう?」

と、Aくんのつぶやきは止まりませんでした。

*一人ひとりの楽器演奏や歌を集め、映像作品を作る特別授業。


 彼に

「Aはこの部分をどうやって弾きたい?つなげることもできるし、少し音を切りながら弾くこともできるよ」

と聞いても、

「うーん、なんでもいい」

と答えるようなことがよくありました。しかし、前述のような話をし始めてからは

「ここはmp(メッツォピアノ)」

「ここは短めのスタッカートにしてみる」

などと、“こう弾く”ということを自分で決められるようになっていきました。


 初対面の人と仲良くなりたいと思うとき、さまざまな質問をしてその人のことを知ろうとする人も多いのではないでしょうか。お互いのことをよく知らないと、仲良くなれるものもなれなくなってしまいますし、主体的に関わろうという気持ちが薄れてしまうこともあります。人間は誰かとの間に共通点があると好意を持ちやすいと言われていますが、子どもたちと音楽の間においても同じようなことが言えるのかもしれません。


 私自身は、子どもたちが視野を広げ、音楽との距離を縮めるお手伝いをするべく、これからも子どもたちに「へぇ!」の魔法をかけ続けていこうと思っています。


 ───と締めくくりかけましたが、私はただ単純に、自分が「へぇ!」と思ったことに、「へぇ!」と誰かが反応してくれることが嬉しくて、伝えたいだけなのかもしれません。


 来る9月4日(日)には、ヴァイオリンの最高峰の楽器と言われる『ストラディヴァリウス』をテーマにした芸術鑑賞会を開催します。子どもたちや、ご来場くださる皆さま、そして一緒に教えている講師や教室長たちの「へぇ!」という反応をたくさん聞いて、心の中で密かに「よしっ!」とガッツポーズをするべく、鋭意準備中です(子どもたちはもちろんですが、保護者の皆さまのご来場もお待ちしております!)。


アノネ音楽教室 勝野菜生

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コラムに対するご感想などがございましたら、

info@anone-music.comまで、ぜひお寄せください♪


 私が中学1年生のときのこと。所属していたジュニアオーケストラで、初めての海外演奏旅行に出かけました。この年は、オランダの大聖堂が舞台でした。


 そのオケは、下は中学1年生から、上は大学4年生までで構成されていました。もともと違う支部のオケに参加していたのですが、海外演奏旅行があるということで、隣の支部のオケにまたいで参加することになりました。


 20年以上前に遡りますが、練習初日のことは鮮明に覚えています。海外演奏旅行の参加対象は中学1年生以上だったのですが、私が中学生になる渡航時の1年前から練習が開始したため、入団時点では小学6年生。リハーサル室の扉を開けると、高校生や大学生のお兄さんお姉さんばかり。とても緊張して中に入っていくと、

「君は誰?何年生?」

と指揮者に言われます。

名前と学年を伝えると

「小学生は来られないよ」

と言われ、固まったことを覚えています。


 今となっては大変失礼なのですが、この指揮者の先生はとても怖いことで有名でした。肌感覚として、その厳しさは音楽への情熱だと理解できたのですが、練習時の緊張感は確かに凄まじかったものです。一度意見を求められた際に返答したところ、

「君、声小さいね」

と言われたのですが、緊張で声が出なかったとは言えませんでした。私含め一部の団員はA先生に睨まれると固まるしかないので「蛇眼先生」と呼んでいたほどです(笑)。


 誤解のないようにお伝えしますと、私はこの指揮者が好きだったからこそ、長くオケを続けられました。例えばモーツァルトの作品を演奏すると、毎回必ず顔を真っ赤にして怒ります。

「違うんだよ!もっとこういう音でしょ?」

とこだわりの音を提示し、理解を求めてきます。モーツァルト特有の、幸福感に包まれた音の希求です。その探求心の強さやこだわり、奏者である子どもたち以上に情熱を持ってオケを引っ張っていく姿に大きく影響を受けたのは間違いありません。


 そのオケでは一番年下だったわけですが、入団した後はとても可愛がってもらいました。それは高校生や大学生からです。終わった後にご飯に行くのは当たり前。さらに、今思い返してもすごいのですが、2か月に1回ぐらいの頻度で、団員でディズニーランドに行っていました。アトラクションに乗ることより、その待ち時間にお兄さんお姉さんと話せる時間が好きでした。


 ある日、ある大学生の内定が決まり、そのお祝いだからといって、祝われるのは彼女の方なのに、中学生のチケット代を払ってくれたことがありました。また、当時携帯を持っていなかったので、何時に集まるかなどの詳細はFAXで送ってもらっていました。詳細を書いて送ってくれるのは高校生のお姉さんなのですが、中学生男子からしたら何とも幸せなことでした。そのFAXの紙を大事に机の中にしまっていたのを覚えています。


 その後も2回ほど演奏旅行に行ったのですが、最後に参加したときは社会人1年目で、指導者側になっていました。そのときは、自分がお兄さんお姉さんにしてもらったのと同じように、年下の大学生や高校生を集めて、土日に自習練をしたり遊びに連れ出したりしたものです。


 さて、今回のアノネ音楽教室の夏の合宿についてですが、特に信州のコースにたくさんのお申し込みをいただきました。東京のコースもほぼ定員に達していますが、それでも信州は倍以上でした。コロナの情勢もあり、どれだけ人がくるかわからなかったので、バス1台分で考えていたのですが、蓋を開けてみたら100人近くの大合宿になりそうです。そのうち高学年以上が半数を占めています。アノネの設立当初から通ってくれている在籍7〜8年目の子もたくさん参加してくれています。


 私が考えているのは、学年を越えた縦割りの文化をどう作っていくかということです。それは、休みに集まってディズニーランドに行くことまではなくても、年齢や学年の違いにかかわらず、みんなに会いたいと思えるコミュニティーを。そして、下の子を可愛がり、年上を憧れ慕う文化を、アノネの中でどのようにつくるかということです。


 実のところ、そういった文化がなければ「小さい子と一緒なのは嫌だ」「下級生は面倒くさい」「年上が怖いから行きたくない」ともなりかねません。アノネの子がそうだと言いたいわけではありませんが、思春期や反抗期であれば、そういった関係に対してネガティブな感情を抱いても不思議ではありません。


 小学校高学年については、低学年のリーダーとして活躍してもいいでしょう。子ども時代の一つの節目として、高学年の子たち本人にも楽しみがあったりします。


 問題は中高生です。もちろん中高生にも面倒見の良い子たちがいます。ただ、高学年から更に一歩大人に近づいた彼らの多くは、より難しい時期にいます。


 アノネ音楽教室が所属する花まるグループでは、低学年くらいまではおたまじゃくしの時期、その後の高学年以降を若いカエルの時期とお伝えしています。「未熟なおたまじゃくし」の低学年時代はいいのですが、高学年以降になると大人たちは「立派なカエル像」を求めるものです。さらに、中学生になると社会は彼らに「立派なカエルがとるべき規範や行動」をますます求めます。しかし、実際は「立派なおたまじゃくし」でありながらも、まだまだ「未熟なカエル」の心をあわせ持つ時代です。


 つまるところ、今年の合宿の裏テーマは中高生をいかに可愛がるかです。丁度今、細かい行程を考えていますが、、中高生には小学生たちのリーダーになってもらうことだけでなく、大人側の運営の意図を汲み取れるようなリーダー像をついつい求めたくなってしまいます。彼らがそれをできるからこそでしょう。しかし、本人たちの心の躍動を考えたとき、まずは彼らのコミュニティーをしっかりつくってあげて、彼ら自身が存分に楽しみ、切磋琢磨できるような環境を整えてあげたいものです。講師陣は指導者という立場を超えて、お兄さんお姉さんのように(心は大学生でいけるでしょう)引率することで中高生の満足感も変わるはずです。そうすれば年下の子どもたちにも自然と優しさが伝播していくのではないかと思っています。


 私は、講師を採用した後の研修で一番最初にある質問をします。それは

「子どもの頃のモチベーションは何でしたか?」という質問です。かれこれ100人以上に聞いてきましたが、一番多かったのはシールやお菓子がもらえたということです。シールもお菓子も、頑張ったねという承認だからでしょうか。次に、先生のパーソナリティーという答えも多数ありました。

「褒めてくれた」「会いたかった」「好きだった」。通じて言えることは、音楽が好きで、指導者になるまで続けられた講師を支え続けてきたのは、音楽作品の素晴らしさの記憶以上に、「ちょっとした心の躍動」「嬉しい気持ち」「楽しかった思い出」といった幼少期の体験です。音楽の素晴らしさは続けていくうちに自然と理解していきますが、取り組む時間を通して、どのようなポジティブな体験を与えてあげられるかということが大事なのではないでしょうか。


 アノネ音楽教室は、技術と価値観の両輪を育む場所を目指したところに原点があります。今後も、先陣を切ってきた中高生、そして後に続く愛らしい子どもたちとともに、その原点を大切にしながらつくり上げていけたらと思います。


アノネ音楽教室代表 笹森壮大

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執筆者紹介:濵口実莉(はまぐちみのり)

子どもたちからの愛称は”みのり先生”。専門の楽器はクラリネット。

お茶の水校・オンライン校 集団音楽教室 水曜日クラス(年中長コース・小学生ベーシックコース)、および土曜日に開講しているリトミックコースの教室長を担当。1歳半から小学生の子どもたちの指導にあたる。また、アノネ音楽教室のイベント運営も担当。学生時代に吹奏楽部を部長として取りまとめた経験も活かし、指導や演奏に留まらない幅で活躍中!

(紹介文:リレーコラム4月号執筆者 坂村将介)


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『大切なもの』

 私は幼少期にたくさんの習い事をさせてもらっていました。水泳、英語、バレーボール、バドミントン、お習字、ピアノ、合唱などなど。 “本人がやりたいと思うものをやらせてあげよう”という考え方の両親は、私が「やりたい!」と言った習い事に、「いってらっしゃい!」と笑顔で送り出してくれました。


 様々な習い事に取り組んでいましたが、私の場合は大人になった今に至るまで音楽が残り続けました。たまたま職業として音楽を教える身になりましたが、そうでなくてもかけがえのない心の糧や、表現の手段として続けていたと思います。それほど大切なものが与えられたことに感謝しかありませんし、次の時代を担う子どもたちにもそんな経験を届けることが、最大の恩返しになるのかなと思う今日この頃です。


 そんな私が育った家庭はというと、いわゆる音楽一家では全くありません。父は「どの音を弾いても『ド』に聴こえるなぁ」と言うくらい音感がなく、音楽の知識もありません。母にはピアノの経験がありましたが、もう数十年ピアノは弾いておらず、実家にあるアップライトピアノもずっと眠っていました。


 私の音楽との関りの軸となっているのは、主に10年以上経った今でも続けているクラリネットです。気が付けば人生の多くを共にしている、私の大切なもののひとつです。クラリネットとの出会いは中学校の部活動でした。初めて楽器に触れたとき、金属の部分が冷たくてびっくりしたこと。初めて楽器に息を吹き込んだとき、木の温かい音がして、それと同時に気持ちも温かくなったことを覚えています。私は学生時代の喜怒哀楽をクラリネットと共にしてきました。コンクールに出演し、緊張で涙がこぼれ落ちそうなところを必死にこらえて大きな舞台に立ったときも、先生にご指導を受け、隠れて泣いていたときも一緒でした。


 楽器を吹くことが楽しくて仕方がなかった毎日を過ごしていましたが、そんな私にもスランプが訪れました。始めは、吹くたびに手ごたえを感じ、練習をすることが楽しくて仕方がありませんでした。ですが、もっとこう演奏したいという欲が強くなり、突き詰めて練習をすればするほど理想が高くなり、思うように上達していかなくなりました。すると、だんだんと練習をすることが苦痛になっていったのです。


 そんな頃に中学校の部活動の引退の時期を迎えます。周りには引退を機に楽器を辞める人がたくさんいました。ただ、私はスランプに陥っていたというのに、楽器を辞めずに高校でも吹奏楽部を選択し、なんとか学業との両立を図りながら続けることを選びました。そして、一時は苦痛ですらあった毎日の練習を経て、いつしか楽器を吹いているときが、自分を表現できる大切な時間となっていることに気付きました。


 当時は無我夢中でしたが、今思えば幼少期の音楽に対する良い思い出があったことがたくさんあったからでしょうし、だからこそスランプに陥ることがあっても続けることになったのかもしれません。


 クラリネットに出会う前の小学校時代は、ピアノのレッスン、合唱団やミュージッククラブで前向きな音楽経験をたっぷりと得ることができました。もっと遡ると、私はテレビから流れている音楽に合わせて、歌ったり踊ったりすることが大好きで、両親はいつもそんな私の姿を温かく見守ってくれていました。今でも実家には私が音楽に触れている写真やビデオが残っています。


 自分の気が付かない間に『音楽って楽しい』という気持ちを体いっぱいに実感できていたからこそ、そして、そんなふうにのびのびと経験させてくれる両親や先生方といった大人の導きがあったからこそ、スランプに陥っても「絶対に続ける!」という意志を持つことができたのだと思います。


 私自身は、幸いにも総じて前向きな音楽経験を続けることができたと思います。しかし、実際にはむしろ「辛くて辞めてしまった」という、苦い音楽経験談についてもよく聞きます。では、私は苦い経験をしていなかったかというと、そうではありません。実際にはありましたが、幼少期に築きあげることができた気持ちの土台、そして周囲の大人や音楽仲間の支えがあって乗り越えることができたに過ぎません。そして、大人になった今では「やってきてよかった」と総括することができています。初めはただ楽しかった音楽が、時には苦しいものになることもあり、そんな波を経ていつしか「大切なもの」になっていきました。


 教室に通うお子さまは、今まさに、人柄や人としての魅力を形作るような、大切なものを見つけている時期にいるといえます。教室が、そんな時期に安心して学ぶことができる居場所であるよう、そして保護者の皆さまにも安心してお任せいただける場所であるよう、サポートできればと思っております。お子さまが私たち大人の手元を離れたときにも、「やってきてよかった」と心から思える大切なものとして、音楽が残り続けるように。


アノネ音楽教室

口実莉(はまぐちみのり) - ”みのり先生”

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