『坂道』
先日、中学3年生のAくんから卒業写真が送られてきました。彼をめぐっては、これまでに本当にたくさんの思い出があります。
小学校1年生で集団音楽教室に入会したAくん。場面緘黙なところがあり、受け答えは首を縦にふるか横にふるかで、言葉と発するのも「うん」か「違う」くらいでした。当時は他にもいくつか習い事をやっていましたが、時が経つに連れどんどん辞めていって、1年後にはアノネ音楽教室だけになりました。そこからもう1年ほど経つとアノネでも教室に入れなくなり、ドアの近くでお母さまと20〜30分待ってから入室してくるようになりました。
はじめは
「大丈夫だよ、行こう!」
と干渉しすぎない作戦で教室に連れて行ったことを覚えています。しかし、状況は好転せず、むしろ入室がより難しくなっていきました。私には、Aくんにはどこか自信がないように思えて、お母さまと何度も面談を重ねました。もう10年近く前の話ですが、その面談で話した際に印象に残ったエピソードは数多くあります。
たとえば、Aくんを出産したときに平均より足のサイズが3cm小さいことに、
「ちゃんと生んであげられなくてごめんね」
と毎日寝顔に謝っていたそうです。お母さまの癖は、とにかく謝ること。Aくんに対しても、あれもこれも「ごめんね」と言っていました。それも、「お母さまがだめで、ごめんね」というニュアンスでした。そのせいか、Aくんも、なんでもお母さまのせいにするようになっていきました。ここまで来ると遠慮や謙遜を超えて卑下の領域に入っているのではないかということで私とお母さまで話し合い、「しばらく人に謝ることは禁止にしましょう!」
と、ルールを決めました。
それからしばらく経って、お母さまの雰囲気が明るくなったことに気が付きました。髪の毛を明るく染め、パートに出るようになりました。教室の前に来たときの笑顔も今までと断然違いました。そして、
「先生、色々と謝ることやめたら、夫にも言い返せるようになりました笑!」
と教えていただき、二人で大笑いしました。
お母さまがいきいきとしてくると、ひとまずはAくんのコンディションもよくなっていきました。しかし、やはり一筋縄ではいかず、一進一退が続きます。
たとえば、夏の音楽合宿の集合時は、せっかく来たのにバスの出発地で行きたくないと泣き始めてしまいました。出発時間が迫っていたこともあり、
「お母さま、任せてください!」
と言って、大泣きするAくんを担いでバスに乗せました。すると、その後はすぐにチームで楽しくはしゃいでいました。Aくんはお母さまが大好きで離れたくなかったことを知っていて、離れてしまえばがんばれると踏んで、ちょっと強引ながらそのように対応してみたのでした。
その後、Aくんは3,4年生頃から不登校になりました。低学年のときにもその兆しはありましたが、その頃から私とお母さまは学校に何としても行かせることを目標にがんばっていました。しかし、あるとき発達心理の専門家のところに行くと
「ストレスになるから、学校には無理して行かないほうがいい」
と言われ、そのままその言葉に従う形になりました。お母さまからそう聞いたとき、私は
「Aなら行けるのに」
「小学生くらいの時期にこそ小さな山を登る経験をしておいた方がいいだろうに」
と、悔しく思いました。そして、また1年ぐらい経ったときにAくんが学校に行きたいということで挑戦してみると、勉強に全く追いついていけません。そして、いつの間にか学校に行きたくない理由が「勉強に追いつけないから」というものに変わっていったことに、なんともやるせない気持ちになりました。
その後は、フリースクールに通い、料理に目覚めます。時折、お菓子を作って教室に持ってきてくれたりもするようになりました。
そして月日は流れ、あっという間に卒業の時期になりました。卒業アルバムの写真撮影があり、Aくんは
「集合写真は無理でも、個人写真は撮ってもいいかなあ」
と言って、学校に行きました。その日は同じように不登校の子が卒業写真を撮りに来ていて、校門のところでよろけながら歩き、階段で頭を抱えて泣いていたのだそうです。Aくんは胸が痛くなりましたが、直接は声をかけられないので、用務員のおじさんにSOSを伝えて一緒に連れて行ってもらうことにしました。その後、写真撮影が終わって待機していたら先生が来て、
「この後は避難訓練だから、帰るなら急いだほうがいい」
と言われます。しかし、その話の途中にいきなりサイレンが鳴り出して、さらに用務員のおじさんがでてきて、
「他の生徒たちが来ちゃう!今なら間に合う!走れー!」
と言われ、急いで家に帰ったのでした。
勇気を出して学校に行った日の、ちょっとした事件。Aくんは、お母さまにこのことを笑い話として教えてくれたそうです。そして
「あー、もっと早く学校行けていたら良かったなあ」
と言っていたとのことでした。
そんな彼が、この間晴れて高校受験に合格しました。その過程では、かつてはついていけなかった勉強を地道にがんばったのでした。
そんななか、志望校の過去問を解いていたAくん。そこにあった考えを記述する問題では、
「高校に入ったらコミュニケーションの力を身につけて、友だちを作りたい。私は場面緘黙の影響で人に積極的に話しかけることが苦手だが、貴校には私と似たような経験をした生徒も多いと思う。そこで、勇気を出して人に話しかけることにチャレンジしていきたい」
と書いていました。
どんな子にも語り尽くせぬほどの苦労と成長のエピソードがあります。私にとって、微力ながらAくんと並走できたことは人生の宝物です。私もお母さまも、
「そっちの道ではないのでは」
と思うこともありましたが、振り返ってみれば、沈む瀬あれば浮かぶ瀬ありでした。
そして何より、Aくんにはお母さまの愛情が絶え間なく存在していました。Aくんが間もなく低学年を卒業する時期のことです。
「先生、今日Aが初めて手をつながないで教室に来られて、気が付いたんです。小川町駅からお茶の水校までって坂道だったんですね。今までずっとAの手が離れないか心配でずっと手を見ていたので、気が付きませんでした」
とお伝えいただきました。こんなふうに、お母さまの姿からは、親としての愛情の形を大いに学ばさせていただきました。
さて、2023年度もありがとうございました。たくさんの方にお子さまを通わせていただき、心から感謝申し上げます。
2024度は、初の海外演奏旅行を行い、10周年に際した企画に向けても動いてまいります。新年度、またお子さま、そして保護者の皆さまとお会いできることを、心から楽しみにしております。
アノネ音楽教室代表 笹森壮大
※代表コラムは、2023年度をもって定期連載を終了いたします。今後も、教室長・講師一同がバトンをつなぐ”リレーコラム”のなかで、随時おたよりをお届けします。
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